人生の意義

生き甲斐のある人生とは?

  生命の意義は貪瞋痴慢(とん?じん?ち?まん) 貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)慢(まん)を滅却し、私利私欲を滅却し、大慈大悲を育て、傲慢と嫉妬を調伏(ちょうぶく)するところにあります。
  生命は本当に如意宝珠のように尊いですが、知恵と慈悲が備わっていなければ何の意味もありません。
  知恵といのは、あらゆる物事を幻の如きと見做すということです。仏様の大いなる知恵で苦痛と快楽を観察します。仏教は生命にある苦痛と快楽を研究します。いままでの方法は精神上の苦痛を解決することはできません。苦痛の原因は感情、占有欲、家族、親戚、友達、子供、名誉、地位などに執着するところにあります。
  それで、れわれの心がとても孤独になっています。われわれが世間の万物を頼りにしています。
  ところが、世間の万物は無常なものです。たとえば、あなたはある人が好きになっちゃって、でもその人はあなたがすきではなくほかの人が好きになって、こうしてあなたは苦痛に陥ります。この世間は実に諸行無常であるものです。いままで頼りにしていたことは全部外在のもので、完全ではなく、究極的なものではありません。われわれが頼りにしていた親戚、友達などは全部変わりつつあります。われわれはこういったものに執着しているから苦痛になるのです。私たちはこういったもの(こと)に執着しなければ自在になります。
  われわれは大きな知恵、大きな菩提心を持たなければなりません。他人の生命を助ける中で生きているのですが、逆に喜べます。すべては他人のためになります。思いやりと清らかな心をもって、自己チュウのためではなく他人を愛します。
  仏法を学ぶ目標は菩薩になることです。菩薩はただ衆生にご利益をもたらすだけで、自分のことを考慮しません。
  われわれが苦しんでいるのは感情を信じているからです。感情はすべて変化しつつあるものです。もちろん、われわれは仕事も、そのほかのいろいろなことも必要ですが、
  感情に執着する(拘る)ことは苦痛になる原因です。われわれは心をオープンしなければなりません。心をオープンすることは窓を開けることと同じようで、開けたら光が差し込んできます。
  快楽(楽しみ)の源は衆生を助けるところにあります。あらゆる苦痛の原因は自分のことのため、エゴイズムというところにあります。
  在家であれ出家であれ、昼夜を問わず心の中に愛のみあり、恨みはありません。

(慈成加参上師が2011年7月8日亜青寺にて諭した法話より一部)