仏法に学ぶ生き方

仏法から学ぶ生き方(一)

           慈成加参リンポチェの諭し


  二千五百年以上も前に、インドで俗世間の生活に飽きてしまったある王子様が、皇宮(こうぐう)を出て山林(さんりん)に入りました。絶えず思考と修行を通して、究極的な解脱を得ました。彼の知恵は記録され、伝承されてきました。彼の知恵を基にして、数え切れない生命は巨大な幸福と解脱を獲得し、生命の真義を悟りました。それでは、彼の知恵は現代社会を生きている人たちにはどんなヒントと指導を与えているのでしょうか。

  西洋文化がこの時代において流行ってきて以来、誘惑に満ちる色とりどりの価値観にさながら全ての人々が咄嗟に心奪われたようです。それはあまりにも美しく美味しくて、多様化で変化に富んでいます。テレビを付けたら、メーカーは綺麗なコマーシャルを通して需要を作り出し、美しい欲望を次から次へと満たさせます。

     今日はお手持ちの新しいiPhoneが格好いいと思っていながら、明日から新しいデザインの時計がまた出回ります。そもそも買うつもりはないにも関わらず、周りの人たちがこの価値観に誘われる時に、あなたはこの流れに従わないのはとても出来かねます。それは、あなたは仲間はずれにされたくないから、ましてや仲間はずれになったら、この社会ではとても生きにくくなるからです。今は、こんな社会になってしまっています。

    仏典には、我々が生きている今の時代の特徴を描いています。この時代では人々の内心にある煩悩が益々盛んになる時代ですと。これは濁世(だくせ)の始まりです。いわゆる濁世というものは、濁り汚れた世の中を指して、その中で重要な濁りの一つは見濁(けんじょく)で、つまり何が正しいのか、何が間違っているのか是非の判断がわからないということです。多くの場合は、我々はテレビ、ファッション、スター、コマーシャルから是非を学びます。ここでは、まず正確と間違いに定義を下さなければなりません。アインシュタインが曾ておっしゃった通りにすべての物(こと)は相対的だという。それでは、正確と間違いも例外なく、その中の一つです。さて、何が正確なのか、何が間違いなのでしょうか。

  本当の意味の正確というものは、我々にとって永久的に幸福とご利益(ごりやく)をもたらす挙動であれば、正確と言えるでしょう。各シーズンごとに各メーカーは完全に新しい製品をデザインし作り出し、古い製品を淘汰させます。あなたは新品を買うつもりがなくて、お手持ちの古い携帯はまだ使い勝手がよいと思うにしても、彼らは依然として需要を作り出し、新しい携帯を使ってもらうように思わせます。こうすれば、同僚とお友達の前であなたは時代の流れに似合っているように見えます。そして、パーティーの時に、皆を前にして気前よく新しい携帯を取り出す振る舞いもできるし、まだ古い携帯を使っているのを恥ずかしがる必要もありません。よくよく考えてみれば、それが本当に必要なものでしょうか。

                  (つづく)