究極的な解脱とは?

2013年12月24日上师の法話
 
   『虚像にしても実像にしても、始終執着も取り込みもしない』
 

もうすでにある程度寂止の禅修基礎を持っている方には、このような試しで悟っていきましょう。我われは禅修する際に、『三不動揺』の三つのポイトをもとにして、きつくもゆるくもなく、自然に時を移さないこの時点に安らいで安住すると、心は外にも発散せず、奥にも引っ込みません。外の境地が見え、声が聞こえ、心の中にある念頭を気の向くままに行き来に任せ、何なりの意識変動と見分けもありません。天然で、清らか、広々とした、平等な状態に戻り、まるであらゆる顕れが水の中に映っているようです。影は水とは分けられず、境地は心と渾然一体に融合されるようになります、、、、、、。奇妙なパワーの察知力を通して、これこそが心の純粋な正体で、これこそが純粋のありのままの知恵だと悟ります。すべての外の境地と心の念頭は心の本体の顕れです。すべての現れは心の本性の中で本来解脱になります。もし、悟りはほんとうに文字通りに生じてくれば、自分の心の中は間違いなく大恩上師の阿秋ラマリンポチェがおっしゃった通りになります。『悟りが奥から現れてくる時に、現れのすべてのもの、あらゆる有情は、法身王の奇妙なパワーをおいて他の何らかの存在でなくなると思い切って決断すべきだ』と。こういった動かしがたい見解が生まれてきます。[注意:心の本性はあらゆる偏った執着と言論を超越し、ここで話している心の意識と心の本性の区別は、禅修者たちが有徳の上師の指導の下で、上師の秘訣を頼りに、さらに自分の体験の上で行ってください。あやふやな定めはしてはなりません。さもなければ、一毫の差千里の差となる (いちごうのさせんりのさとなる。)]