共に修行って?

みんなで一緒に修法するのは、一人で家に篭って修行するのとは違います。たとえば一人で50キロの物を持ち上げるのはとても難しいです。衆生が造った共業(共に造った業)は共修(みんな共に修行する)の方法で対応することです。百人でみんなで共に50キロのものを持ち上げるとなると、ボールを持ち上げると同じように容易になります。
(2011年12月30日の開示より一部)
    
みんなで一緒に5423万の生き物を放しました(161万人民元)。その中の一人一人はみんな5423万の生き物を放すことになります。
(放生の功徳は数え切れなくて健康になり、長生き、慈悲の心を育てるといったものです。)


みんなで共に灯りを10万供養するとすると、その中の一人一人は10万供養の功徳を得ることができます。(仏前に灯りを供養する功徳は数え切れなくて、まずは智慧を増すことができます。)
(2011年4月5日の開示により)
 

2011年旧正月成都で放生

みんなで放生

放生中お経を挙げる

この放生には幾つかの意味があります。

 われわれが住んでいる地球環境、生態問題を取り挙げてみると、今から100年前、1900年代の人口が16億人から2000年代の現代においては64億人に増加しました。
 人間が増えることによって、それ以降、鳥類が4分の1、森林が3分の1を失い、魚類の3分の2を失なってしまいました。

 人間一人一人が消費するエネルギーも増えて地球の温暖化は急速に進み、地球上の生態系の破滅によって、数百万年かけて生き延びた生物の種が次々に絶滅しています。
 この現象はこれからの人類の絶滅につながる訳であります。
 国際世界においては貧富の格差が広がっています。
 40億の人が1日2ドル(2000円)以下の生活を余儀なくされ、そのうち8億人が栄養不足であり、毎日3万5千人の子ども達が食べるものが無く餓死しております。
 皮肉なことに、この数字は今現在、物が満ち溢れる日本でのこころの苦しみから死んでいく1年間の自殺者数と同じ数であります。

 この放生法要によって1千万分の1でも、苦しんでいる人間と、破滅される生態系の再生に寄与する事が出来たらいいなと思います。

  二つ目は、仏教の教えにおける放生の意味についてお話しします。
 放生は「四無量心」の実践であります。
 仏教の根本の教えである「慈」「悲」「喜」「捨」の中身であります。
 私たちが一生の間、獲って食べる生物や魚の数は何匹でしょうか?
 一生の中で自然界から受け持った恩恵は幾らでしょうか?
 慈悲とはいったい何でしょうか?

 楽をあたえることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」といい、これを抜苦与楽(ばっくよらく)と言います。
 死に至るはずの鯛を放し命を救う、という行為は、自分の欲をはなして、無為の功徳、即ち、誰かに褒められることでも無く、認められるでもなくとも、ただ今出来ることをする。
 願わず、求めず、頼らず、これこそが尊い功徳になるのです。
 この放生で功徳を積むことによって、自分を救うばかりでなく他も救い、皆様のご先祖様やご家族にも福を招いて一切に及ぶ、仏の慈悲は広大無辺になるでしょう。


   放生法会を行なうということは、人間として自然に対するお詫びであり、恩返しにもなります。
 また、仏教信者としての無量功徳は100万遍のお経より、多大な回向供養よりも深い意味を持つことになります。
 このように仏教の教えと自然との共生共存の、素晴らしい思想とも言えます。

 静寂な心で今日の放生法要を行い、現在の自分の尊い命を精一杯生きてこそ、過去も未来もすべて救われる事に違いないでしょう。

                                                                 合掌